オヤネンのカメラ小僧時代の相棒は、コニカのヘキサーとコダックのトライX。
スナップ写真なら、日に2本、時には4本撮ることもあった。もちろん現像タンクに詰める本数まで計算済み。
現像は標準現像を基準に、時間で+1EVのプッシュ(増感)。
濃いネガにして、あえてプリントしにくくし、コントラストを自分の手で制御していた。
モノクロ写真の最高峰ワークフローであるゾーンシステムを習得した上で、あえて“汚れた画”を作って遊んでいたわけだ。
ここで言う汚れとは、ざらつきのこと。
ツルツルやしっとりが欲しければイルフォードのデルタだが、あれは優等生的で面白みに欠けた。
青年期にはウィスキーを嗜んでいた。(今は禁酒中)
好きだった銘柄は The Glenlivet の12年。
熟成のピークが一番旨いと感じていて、15年や18年の“エイジングの妙”にはまったく関心を持たなかった。
そして現在。
フィールドレコーディング馬鹿一筋の関心は、音響に一本化されている。
こちらの好みは、写真なら標準現像、ウィスキーなら12年物と同じく、まったくノーマル。
だが、正直なところ行き詰まってきた。
もっと楽しみたい。
写真のプッシュ、ウィスキーのエイジングに相当する音響の要素は何か。
その答えを、倍音に見出している。
だから今、その研究を進めている。
線香花火は、最初はただの小さな火玉だ。
熱が芯に染み込み、火が熟すと、細い火花が静かに広がる。
だが、いちばん美しいのはその“散り際”である。
火玉が落ちる直前、臨界に触れるようにわずかにふくらみ、最後の力で光を放つ。
音響もそれと同じで、壊れる寸前のあの一瞬こそが、もっともスイートで、もっとも危うい。
壊れる前の一瞬には、素材が本来持っている“素顔”が現れる。
写真なら粒子がざわつき、ウィスキーなら若さの角が立ち、音なら倍音がふっと立ち上がる。
そのどれもが、完全ではない。
むしろ未完成で、危うくて、扱いづらい。
だが、その不安定さこそが、表現のいちばん深いところに触れてくる。
完璧に整えられたものは、確かに美しい。
だが、整いきる前の“揺らぎ”には、もっと別の美しさがある。
それは、素材が自分の限界を知らせてくる瞬間であり、創り手がその限界に触れ返す瞬間でもある。
写真のプッシュも、ウィスキーのピークも、音響の倍音も、すべては同じ場所に通じている。
Before It Breaks──壊れる前の、その一歩手前。
そこにしか出ない色があり、そこにしか生まれない音がある。
こんなオヤネンに感化された読者よ。
安全圏にとどまるな。
素材の限界に触れよ。
もっともっとプッシュせよ。
