脱・フィールドレコーディング
ときには、畑を離れてみる。
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大学時代の後輩ナンシーは写真の道に進み、自身のYouTubeチャンネルにおける主張は次の通り。
「写真はカメラじゃないんです」
「写真で重要なのは構図なんです」
<それを振り返る>
ナンシー→道具から技術への移行を提案
<それを少し考える>
私からすれば、ナンシーのアプローチは「お前、道具も技術も手段だろ」となり、私なら「成り立てば善し」から入り、そこから目的を果たすための手段を考える。
<それをもう少し考える>
ナンシーにも私にもそれぞれの考え方があり、目的も異なる。他の人はまた違うわけで千差万別となる。なにを善しとするか、そもそも評価とはなにかが気になり出す。
<それをじっくりと考える>
私ならこの辺で考えることを中断し、あとでもう一度最初から考え直す。
※悩むのは不健全、そんなときは思考停止も有用。
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「俺の言いたいこと?」
「聞くな、自分で考えろ!」
固定観点・既成概念を疑い、そこから思索をはじめるのが一般的に哲学とされる。私はそれを肯定も否定もしないが、さまざまなところで役に立つことは多いと考えている。ただ、それがツールとして使えることもあるというだけ。
まずは、「俺の言っていることを疑え」としておく。
筆:Mika Ojanen(ミカ・オヤネン)
琵琶湖畔にて、黒猫とカラスを従えし隠者。
カラスは昼のざわめきを、黒猫は夜の囁きを、私のもとへ運ぶ。
遣いの運ぶものによって、私の世界観もまた移ろう。