プラクシス:フィールドレコーディング「なぜ録る?」の読書案内で示したJean‑Luc Nancyの“Listening”はお読みいただけたであろうか?
ナンシーの”Listening”は、聴く行為を単なる感覚受容ではなく、音が場と存在関係を再配分する実践と見なす論考である。録音は情報保存ではなく場の再編成であり、マイクやポジションの選択は技術的判断を超えた存在論的・倫理的選択になる。
正味50頁だが、ナンシー独自の文体もあって難解である。だが、書いてあることはプラクシス:フィールドレコーディング “SENSE”で私が言っていることと似ており、聞くと聴くを存在論的に講釈しているに過ぎない。それを理解したところで知識が増えるだけで意味はない。重要なのは、それを現場でどう実践に落とし込むかである。
以下は2025年11月5日のロケに基づく記録と考察だ。
「なぜ録った?」
フィールドレコーディングは営みである。絵描きが絵を描くように、私は音場を採る。今回は季節によって変わるアンビエンスをライブラリーに加えたく、風が誘い込んだ音を残すために出向いた。各人の目的が「なぜ録るか」を変え、その根拠を掘ること自体が深い考察につながる。
「どう録った?」
ロケ地を何度も訪れていると、初めに問うべきはいつも「なぜこの音がここにあるか?」である。ナンシー的に言えばそこで知覚と意味の層を思索することもできるが、私は現場でまずマイクを通した感覚を優先する。音は最終的にマイクで受け取られるのだから、その受け手をどのように据えるかが実践の中心だ。
この日は、指向性マイクと狭指向性マイクという二種類のステレオシステムを持ち込み、同時に二つの録りを行った。ひとつは「聴覚に似た音像」を目指す録りで、もうひとつは「知覚に合わせた音像」を目指す録りである。前者は場の即時的な感覚──耳がつかまえる音像──を再現することに重きを置き、後者は意味付けや距離感を編集で扱いやすくするために音像を整えることを目的とした。
技術的には、指向性の脇を使って意図的に音を弱めるポジション取りを取り入れた。ショットガン/ナローカーディオイドを対象の正面からわずかに外して配置し、直接音の過度な主張を抑えつつ空間の奥行きを保つ。これにより主音と背景のコントラストを残しながら、後処理での調整余地を確保できる。機材構成、位置、ゲインは場の条件に合わせて微調整し、同ポジションで直接寄りのサンプルも必ず採ることで比較可能にした。
フィールドでの判断は気象と季節性を前提に行う。気圧や風、気温は音の帯域特性に影響を与えるため、低気圧時の低域の膨らみや寒冷時の高域の硬さを想定して、収録時点でのローカットやゲイン余裕を決める。こうした予測はポストプロダクションでの処理を前提にした実務的判断であり、同時にどの音を強め、どの音を弱めるかという存在論的選択でもある。
まとめると、ナンシーの思想は記録行為の意味を広げるが、現場ではまず機器を通した「聞く」操作に集中する。どのマイクをどこに据え、何を意図的に減衰させるかの選択は、場をどのように再配列して別の場へ提示するかを決める倫理的かつ技術的な判断である。今日の到達はここまで。次回は収録素材の編集について書き、サンプルを用いた比較と編集上の判断過程を示す予定だ。

